[ 昭和22年(1947年) ]
杜の都東一番丁五十一番地にそば店開店。
昭和二十二年、上海から移った大田 嘉女が息子健一と共に、戦後の復興が始まった東一番丁五十一番地三越仙台店向いの東一連鎖街にそば専門店として「生そば さん竹」を開店。その後東一番丁五十一番地の現在地に移転いたしました。三代目となる長男・大田 健一は、仙台市長町の農業学校を卒業後、さん竹を継ぐ現在の基礎を築きあげてまいりました。現在も受け継がれるそばつゆは、上海で培った味を元に、仙台のお客様に喜んで召し上がっていただけるよう、東京や関西まで出かけ調味料となる材料などを研究し生まれたものです。
昭和二十二年当時の仙台駅
(写真提供:仙台市戦災復興記念館)
昭和22年、東一連鎖街に開業した当時の店内と店員
昭和22年頃の東一連鎖街
(写真提供:仙台市歴史民俗資料館)
昭和28年、東一番丁に面した現在地に移転開業した「さん竹」
仙台での創業者 さん竹三代目 大田 健一
昭和22年、東一番丁の仙台七夕
(写真提供:仙台中央タクシー株式会社)
昭和二十六年 新聞に取り上げられた記事に苦労がにじみます。
昭和20年代の仙台七夕
当時使っていた食器類
さん竹二代目 大田 嘉女